■セラピスト 細谷真実(ほそやまみ)
学生時代にモデル、OLを経て結婚、3度の発病(2度に渡る乳癌で両方の胸を全摘出、子宮筋腫と卵巣脳腫で女性である機能のすべてを失う)の間に、日本ボディトレーナースクール卒業、心理学や気功、アロマセラピーを学ぶ。
中国気功センター医療気功助手、JAAアロマコーディネーター協会正会員、カリフォルニアエサレン研究所認定プラクティショナーのT氏に師事しグレースフルタッチを取得。
大丸東京、東京国際フォーラム内のサロン勤務の後、自宅に癒しのサロンMamiyをオープン。家族は双子の息子(32歳独立、別に暮らす)
オーラ・ソーマレベル1終了
オーラ・ソーマレベル2終了
オーラ・ソーマレベル3終了
オーラソーマ公認プラクティショナー
ホームヘルパー2級(有料老人ホーム6年勤務)
乳がん再発・骨転移 ランマーク・フェマーラ治療中(癌は消えました痕跡のみ)
■「Basket」掲載記事
自分を信じることで強くなれた
2度のガン、そして見つけた私らしい生き方
「以前は人一倍、弱虫で甘えん坊だったんです。でも、少しずつ自分を信じていくことで、強くなれた気がします。今までの痛みや苦しみは、人生の傷じゃなくて磨き粉。だからもっともっと輝けるはず、って思うんです」
二度の乳ガンで両胸を失い、さらに子宮と卵巣を摘出。次々と襲うガンの脅威と闘いながら、自分らしい生き方をめざして挑戦し続ける細谷真実さん。壮絶な体験の中で見えてきたひとすじの光は、「私だからこそできる人を癒せる仕事がしたい」との思いだった。
胸がなくなっても、私は私
すらりとした長身、包みこむような優しい笑顔。何よりもハツラツとした仕事着姿からは想像のできない過酷な闘病生活について、穏やかな表情で語ってくれた細谷さん。
10年前、病院で診断された胸のしこりは、最初5ミリほどのものだったという。
「悪性の可能性は五分五分で、切ってみないとわからない。まさか自分がガンなんて…という思いもありました。でも、しばらく時間をおいているうちに、ある日、急に大きくなっていたんです」気づいた時は5cmほどに。末期の一歩手前まで進行したガンだった。
「右胸の全摘出、大胸筋や腕のリンパ管の一部も切除しました。手術後は、形を元どおりにする再建手術だけが生きる支えになっていました」
胸のマッサージや、筋肉を取り戻すための訓練を懸命にやった。だが、数回の手術を経て、これが最後という手術の直前、細谷さんは突然、やめたいと医師に申し出た。
「胸がなくなっても私は私。それまで外見的なものばかりに頼っていた私が、少しずつ"負けない自分"になっていました。いつのまにか胸があったころよりも強くなって、自分に自信がついていたことに気づいたんです」
そして、"やりたいことに挑戦しよう"と、以前から興味のあった整体やリフレクソロジー、アロマセラピーなどの学校へ通い始めた。病気になるまでは二児の母、専業主婦だった細谷さん。その1年後にはリラクゼーション・サロンで働くようになっていた。
底まで落ちたらあとは浮上するだけ…
一念奮起して始めた仕事。だが、ただでさえ体力や腕力を必要とするマッサージの仕事は、大胸筋のほとんどを失った細谷さんにとって、並々ならぬ努力があったにちがいない。
「毎日ダンベルで鍛えていました。だから強もみだって平気。巨体の人でも大丈夫ですよ」と、たくましい。
しかし5年前、仕事が軌道にのってきた矢先、2度目のガンに襲われた。一時は"もう職場に戻れないかもしれない"と覚悟を決め、残っていた左胸も摘出する手術を受けた。
「職場は忙しく、仕事が生きる支えになっていましたから、入院前日まで働きました。術後も1ヵ月後には復帰。でも最初のお客さまを施術した時、傷口がバクバクして…。"おつらい所はどこですか?"と笑顔で聞きながら、内心すごく不安でした」と当時をふりかえる。
だが、その翌年、またもや大きな試練が細谷さんを襲う。子宮筋腫と卵巣脳腫が見つかったのだ。当初悪性のものと強く疑われた。三度目の摘出手術で、女性としての体の機能をすべて失った時、今までにないほどの喪失感に陥ったという。
「生き方を変えて頑張ってきたのに、やっぱり無理なのね…って。つらいとか苦しいという感情はもう麻痺していました」
だが、しばらくすると不思議な感覚が細谷さんを包んだ。「がらんとした静けさ。どん底まで落ちた安堵感のような…。ここまで来ればあとは浮上するだけ。またどん底に落ちても、この静かな場所に戻ってくるだけなんだ。そう思うとすごく勇気が出てきたんです」--かつての弱虫で甘えん坊だった"私"は、もうどこにもいなかった。
一人でもこの手で癒せたら
「2度の乳ガンの手術まで、まわりの人の支えなしにはたぶん耐えられなかったと思います。でも3度目の発病の時、自分一人の力で乗り越えようと思ったんです」
すでに仕事を始めたころには、長年連れ添ってきたパートナーと別れ、子どもたちとの自立をめざす生活を始めていた。
「今でも時々、家族で会って食事をします。病気や仕事で息子たちには寂しい思いをさせたけれど、その分お互いに自立して、それぞれがいい関係になりました」
そして2006年1月--念願だった自宅癒しのサロンをオープン。"たっぷりと時間をかけてお客さまと向きあいたい"と、予約は1日に3人。温もりのある接客で、周囲に少しずつ評判も広がってきた。
「ここへ来て元気になった、と喜んでもらえた時が何よりもうれしい。こんな私でも役に立てることがあるんだなって。たった一人でもこの手で癒せたらこの命惜しくない、心からそう思えるんです」
語り尽くせないほどの痛みを乗り越え、一歩ずつ夢をかなえてきた細谷さん。「今は"めげない、あきらめない"が私らしい」と話す笑顔は、さまざまな体験で磨かれた宝石のように、強く静かに輝いている。
セラピストメッセージ
MamiyはMammyお母さんでありたいと想っています。母の元にいた安らぎ安心感・・・。お日様をいっぱい浴びたふかふかなお布団に包まれたぬくもりと安らぎ・・・。何故かこのサロンにいらして頂いた多くのお客様が涙を流します。ご自身も不思議に想われるようです。私は病の中から自分の本質を見つけ魂の癒しのために人を癒す事を選びました。其れこそが私にとっての魂の癒しなのです。私による全ての方への応援歌でありたいと想っています。心の扉を開き本当の自分に逢える空間でありたいと想っております。このサロンに集う全ての人がご自分の深い内面と出合い安らぎの中から明日への力を充電して頂けたら幸いです。
細谷真実